CROSSing 映画館
  さまざまな軌道を描く惑星たちの中で

ヤリタ ミサコ
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個人的にはもう、たいへんな一年でした。葬式・絶交・友愛に肺炎に抑鬱、北園克衛の生誕100周年記念イベント、ワークショップ、ヴィジュアル詩や各種評論発表などなど。
クロッシングと梅島ゆーことぴあのオープンマイクの仕切り、そして歴程のセミナーでも校長野村喜和夫さんの代理で朗読会の司会をしました。

私はこの忙しさを楽しんでやってきました。その場の空気、ハプニングス、起きてしまったことレスポンスなど、反応を楽しみつつ、その場のみんなと見えないやりとりをしていくのだから、とってもスリリング。ジャズのセッションとかアドリブとか、そういう行為をことばで行なっているうです。
目に見えない、ことばのドッジボールをしているような感じといったら、想像しやすいでしょう。思った以上に心的エネルギーを使ったかなあ。でも、このすばやい呼吸は、クロッシングで磨かれたおかげで、ワークショップのナビをするにはとても役立ちました。
この1年、クロッシングでは、屋繁男さん、小田島ひとみさんら、短歌の方もいれば、温子ボンのような俳句、成瀬正祐さんの散文、などコトバと言葉とことばと、様々なスタイルの交差する空間が生まれました。小笠原鳥類さんのバリバリの現代詩(ナカミは非常にユニークな鳥類スタイルですが、一応現代詩の先端的位置ということで)から、成田英三郎さんのわかりやすい言葉で語りかけられる詩、紀ノ川つかささんの進化する即興詩(最初は1つの題だけだったのが、数が増えて3つの題を盛り込む、そして、今度はそれを組み合わせる、といったふうにドンドンと進化していった)、松本和彦さんの誰にも真似のできないユニークな朗読、など、その場の空気は記録できないけれど、参加者の心にプリントされた時間が残っているはずです。大地くん、鶴岡美直子さん、大村浩一さん、筒渕さん、寺田町さん、それぞれの個性が際立つ人たちのインパクトのある声とことばたち。
aikaさん、ユーリさん、小夜さん、山田咲さん、亀山千恵さんらフレッシュな感性のきらめきばらしく光っていました。自分だけの重みを持ったことばと自分だけのスタイルを模索している最中の美しさ、鋭い感受性とそれを表現しきれない部分の豊かさともどかしさ、一瞬一瞬の清冽さがあふれていました。おおづかみに言うと、そのような魅力ですね。
すべて過不足なく表現されてしまわないことも、ひとつの大きな力です。私の参加している同人「さがな。」と「mini fumi」では、それぞれ新たな書き手との出会いがあり、同人としても実り多い会でした。 特に三木昌子さんの無意識と記憶と理性の揺れ動く詩の世界は、今後も楽しみで。ポエティックフリーの活躍も身近に感じられましたね。
死紺亭柳竹さんの個性派ブラックユーモアは、この1年でものすごく進化/深化していったと思います。12月の「すべての笑いは西へ行く。」は卒業制作、といった雰囲気でした。表面的風刺以上に「笑いの哲学」が感じられました。西野智昭さんは安定した力で独自の世界がどんどん面白くなっていって、安田倫子さんは行わけ詩も散文詩もやすやすと楽しんでいるスタンスで、それぞれ書く世界が広がっていっているなあ、と思います。また、川江一二三さんの書かれた詩作品と本人の人間性のギャップの面白さも明らかとなっていったこともトピック的でしょうか。
全体としては、連詩をみんなで書いて、それを次の会で声に出して読む、というパフォーマンスは面白かったですね。2か月たつと書いた人も自分が書いた部分を忘れているし、自分の書いた断片も他人の声に載せられると何かの発見があったりして、これは重要で貴重なパフォーマンスでした。
司会者ヤリタミサコとしては、小宇宙の一部に所属していて、いくつもの違った軌道を描いて動いている、木星や金星や土星など多くの惑星たちのなかでゆらめいていたようなカンジです。冥王星はいうまでもなく死紺亭。せっかちに回転していく惑星がいるかと思えば、気がつかないくらいゆっくりと動いていく惑星、生まれたばかりの新星、ブラックホールもあれば、様々な星たち。
JAZZ SPOT映画館は不思議な位置を抱え込んだ空間なのだと思います。日常と非日常の間の言語と音楽の間の、ことばの文法とジャズのリズムの間の、その交差する空間です。立ち位置もそうですよね、道路から一段下がった立ち位置。詩と詩でないものの境目なんてないのです。
そのメディウム=媒体としての空間で、それぞれの軌道を描く小宇宙があるって、なかなかカッコいいでしょう?
次に始まる名前が「ラウンドカッツ」。またどんな個性的な軌道をとる惑星が現れるのか、遊星流星人工衛星など、いろんなラウンドが見られることでしょう。


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