第5回  
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アジサイ魚
詩 西野 智昭
イラスト 黒田征太郎
 

白山神社は歯の御利益がある。
というのは
賽銭箱に使い古しの
歯ブラシが投げ込まれていたからで
たぶん、そうなんじゃないかと…
それにしても使い古しということは
歯のある人間が持参してくるわけで
信心深い老人が歯ブラシ片手に
この急な石段を登ってくるわけじゃなさそうだし
歯の矯正をしている思春期の少女
というのが、せいぜいの空想。
白い山に、白い歯を祈願しに
矯正中の少女たちが人知れず
石段を昇り降りしているのですが
実際ここは、アジサイの葉っぱだって
見捨ててはおけませんよ。
神社に行く参道の坂を登る。
あたりの家々までが参道の一部のよう。
その、空気の中を歩く。
大きな鳥居が見える。
突っ張った石の脚に
弛緩した石の裾が垂れ下がる。
この力の調和に神々が棲むのだ、なんて。
すぐ向こうには
コンクリ柱に鉄細工のアーチがあって
鉄と石が夕暮れのコウモリのみたいに
無言で踊っています。
止まっているようだけど
ちゃんと楽しんだ分だけ老いている。
錆びてる。
隅っこには木製の小さな赤鳥居。
深緑の中のお稲荷さん。
そして左にはバラ。
バラが咲く。
か細い茎のくせに大袈裟な花弁をまとって
山門脇で揺れている。
「白」はストイックに過ぎるので
はじめは「赤」でアプローチするのだ。
たぶん、それが正しい。
ぶきっちょな石段を
踏み
登り
真直ぐ
水飲場の竹垣にかかるおみくじをほぐす。
誰かの固められた祈りをほぐす。
願いは
放してやるのが妥当だな。
大吉や凶に泣き笑いせず
迷いを持たず
ほぐす。
近接する町々の神輿倉を巡る。
神輿倉の落書きを見てまわる。
ぐるりをめぐる階段の造作を見る。
土を踏む。
音を聴く。
樹を見上げる。
神社に彫られた猿に会う。
腰をおろす。
煙草を吹かす。
見る。
ここは実にアジサイが多いのだ。
青葉の「お」はおおきいの「お」
花の青さはファの音色
素直な葉脈どこを指す
雨は降るか
満開のアジサイにむせて
生きている。
在る。
ある粒子はアジサイの花弁で
ある粒子は土で
ある粒子はオレの一部で
胸いっぱい呼吸するとき
細胞の規範がゆるんで
花弁が揺れると
オレの粒まで揺れて
梅雨の湿気の中にこぼれだす。
透(し)みこんでなお
在る。
まったく土っていうのは
いや 土に寝て
空行く飛行機に思いも散り散り
なにくそと手元の石を投げる。
風が吹く。
小さな羽虫がアジサイの青葉から離れる。
羽虫は思った通りに飛べるのだろうか
羽虫は真直ぐに飛べるんだろうか
こういう午後は裏の公園から
いきなり子供が新幹線を押しながら
飛び出してくるかも知れない。
いや 雨だ。
雨が降る。
雨降り。
大雨になる。
雨アジサイ雨。
東京を見下ろす丘の上には
切り絵みたいな花弁があふれていて
そこには歯の御利益ある白い神社があって
赤青黄の歯ブラシが投げ入れられていて
雨がザーッと降ってる。
勢いがあって
るるる ウツ気味で
るるる だるい首。
『オレ』という奴は
『オレ』になりたくて
細胞がくっつきあってる。
一生懸命くっついてるから疲れるね。
不自由を知らなきゃ
自由はわからないとばかり
テレビは
恋と恋と恋ばかり。
オレはやってる。
ちっとも悪くない。
大丈夫。
楽にはいかない。
うん
オレ間違ってない。
平気。
楽じゃないよ、いつも
大丈夫、平気。
まだまだアジサイの中に身をふせって
雨に
雨に
身体をさらして
腐敗していく四肢に
カタツムリの銀色の筋が
捕まったガリバーみたいに
そのまま そのままで
ほてった咽喉に雨をぶつけながら
叫んだふりなんかして。
梅雨の、ハピバスデー、ツーユー
遠慮のない虫たちが
サンバを奏でて踊りだす。
というのは
オレの腐肉の下に潜り込んで
モゾモゾ食事を始めるからで
びしょ濡れの百花繚乱の中に
オレの死体が嫌なにおいを出して
そのジーンズがまた、雨でいい色になって
花にも負けない藍色で
緑の葉っぱの下でこりゃまた豪勢な
花よりスゴイ、花の沈黙。
歯磨き神社の丘の上で
染み込んでら。
透(し)み込む。
大粒の雨が降ってくれば
ばたばたと神社の青葉が縦に騒ぎ
湧いてくるような風が青葉を横に振り
あの、一枚一枚が深呼吸している
アジサイの葉脈たちが
雨に打たれて生気をもどし
リズムを刻み
一枚一枚がひとつの事情で縫い合わされて
重なって、ゾゾッって動けば
それはもう風の仕業じゃなくて
よく見れば、アジサイのウロコです。
大きなアジサイの魚です。
背ビレをきゅうと起こして
古ぼけた家の窓ガラスみたいな目をあけて
つきでた受け口が地面をズズッとけずって
あくびする。
エラがひときわ膨らんで
その風で少し花が散る。
尻尾をブルッてやれば
そいつは当たり前のように浮かんで
散歩を始める。
大銀杏の下を巨大なアジサイ魚が散歩を始める。
ぱらぱら花弁を落としながら
気だるそうな出目で神社を見渡す。
ゆるやかな風が起こる。
怯えたダンゴムシのいくつかが何処知れず転がる。
流される。
透(し)み込んでいく。
雨に光る青いうろこはいい艶。
ドミソの安定和音。
ゆっくり身をねじって方向転換。
うらやましげな青い紅葉が
控え目に拍手。
オレの腐臭が案配よく散って。
誰も居ないんだけど
雨はにぎやか。
魚は散歩。
土。
銀杏は何も知らないし
何も覚えない。
神社も猿も江戸時代から止まったまま。
大アジサイ魚は石の参道を巡る。
土。
雨。
風。
花。
オレ。
虫。
石。
昨日。
今日。
いま。
さっき。

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