SOMETHIN`ELSE 第1回 |
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オーディオと私 | ||||||
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執筆者の加藤一夫氏は2003年3月14日他界されました。享年73歳。
氏は1年半の永きに渡り癌と闘って居られました。 最後に読まれた俳句を哀悼の想いをこめて紹介させて頂きます。
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今、手元に63年の「電波科学」が残っている。 当時はステレオシステムの手作りが流行っていて、私も挑戦したものだった。
神田昌平橋近くにはパイオニア、その向かい側にはトリオ、また近くにはコーラルとオンキョウの視聴室が有り、銀座松屋の裏にはオンライフという管球式アンプの会社がありました。毎週土曜日にはイベントを催し、席につくとコーヒーが配られた。
そこでは当時の映画劇場で使われている最高級のシステムだと云う、300Bの管球アンプに大型のホーン・スピーカーを聞かせ、映画のトーキーそのものの音であった。
CDが出だした頃、銀座四丁目のコアビルにはテクニクスのショールームがあり、新しくトランジスターアンプを開発した京セラは鳩居堂ビルにショールームを開き、そこではセラミックの箱にKLHのユニットを入れたスピーカーを鳴らしていた。この頃にはオーディオも下火になっていたので「今頃こんな物発売して大丈夫なのでしょうか?」と尋ねたほどでしたが、やはり二・三代で終わってしまった。
秋葉原の山際、サトームセン、ナカウラ、と云ったところでは大型のシステムを揃えていたのでずいぶん聞き歩いたものです。
初めてのシステムはパイオニアの25センチウーハーとホーン自作のネットワークで繋いだ3ウエイをラックスのプリメイン・アンプSQ-5Bで鳴らしていました。 革の豪華な箱に入ったカートリッジ電音103を買い、マイクロのアームにヘッドシェルも厚手のガッチリしたものを付けた時は音も厚手のパンチの効いた大きな音が出た。しかしこれより軽量 な作りの放送局用オリジナルアームに変えたところ音の解像力が数段に増し、楽器のそれぞれを手に取るように再生するのには驚かされた。 まさにレコード再生の難しさである。 最近は読響オーケストラ、二期会、新宿ピットインなど生の音を聞くように心がけている。また喫茶「映画館」の音を標準として、それより細めの音か太めの音か、厚い、薄い、解像力がどうかとか判断の基にして楽しんでいます。 先日テレビで擬音の作り方を放送していた。現場で録音した音では実感が湧かない事もあり、そこで音を作るのだという。LPやCD、古くはハイファイなどと言っていたが、同じ演奏を録音したものでも、それぞれ微妙に音が違う。 アルバムが音の缶詰ということならば料理次第でご馳走にもなるというものだろう。 エヂソンが蝋管を発明してから何年になろうかオーディオもずいぶんと変わったものだ。 2001年11月26日 |
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「stereo」 90年6月号音楽之友社
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追記 | ||||||
わたしの初めてのシステムに使った「ラックスSQ5B」はその後弟の処へ嫁入りし、それが今でも棄てられずに有る事を知り、先日取り戻して来ました。 2002年7月3日
加藤一夫 |
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