SOMETHIN`ELSE 第4回 |
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自主制作・劇映画 『自転車とオムハヤシ』 |
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鈴木 崇 | ||
この作品は1998年の夏に、当時二十九歳で監督未経験のぼくが、35ミリのフィルムを使って撮影する筈でした。
「設定として、この店は流行っている店なのか、そうでないのか?」 物語の舞台となる“美味いオムハヤシを出す古い食堂”のディテールがなかなか決まらない時、その時のプロデューサーのF氏が言った。 流行っていない店だとぼくが言うと、F氏は、「しかしな、美味しい店は必ず流行ってしまうんだぞ」 F氏とぼくの間で、あれやこれやと意見が行き交い、口論し、子供みたいな罵り合いに発展したこともあった。 結局、美味しいオムハヤシは何故かメニューに載っていない、という設定に落ち着いたのだと思う。 |
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あと店の側に緑と坂道がある、とういのが監督であるぼくの作品のイメージだ。
そして都内と横浜を中心に、ロケハンに何軒も店を訊ね歩いたが、 イメージに合う店がなかったり 、断られたりと、気落ちと焦りの連続。 「文京区の白山に、雰囲気のいい店がある」とある人に教えられ、その翌日に早速『JAZZ喫茶 映画館』を見に行った。 そして、ここで撮影したいと思った。 “何故、オムハヤシライスなのか?” 単純に監督のぼくが“オムハヤシ”という語感が好きなのと、三十七年前、物語のヒロインのケイが貧しかった頃に、大好きな恋人に、僅かのお金で精一杯に作れるご馳走とは何だったのか? それを考えた時、例えばスキヤキとかステーキとか、ありふれたご馳走ではなく、何かちょっと変わったモノを作って、ケイは恋人を喜ばせたかったのだとぼくは思った。 |
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二人は間もなく、ある事情により、お互いに思いを募らせたまま別れてしまう。ケイのことを忘れられないまま、男は別の場所で別の生活を送り始める。他の女性と出会い、幸福な家庭を築く。
それが男の日常となる。 同じようにケイにも今は別の日常がある筈だ。しかし理屈で解っていても、三十七年経った今でも、男がケイを思い浮かべる時、浮かんでくるのは三十七年前の、あの頃の“優しくて美しいケイ”だ。 それは毎年の夏、草花や緑の生命力が満ち溢れる頃に蘇る、少年時代の憧憬みたいなものだ。 |
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“日常の生活の中から、非日常の世界に行くには、誰にも起こり得るごく些細な出来事がきっかけなのかも”
ぼくがこの作品で描きたかったのは、そんなことだ。 恋い焦がれたり、ときめいたりするのは、誰もが経験することで、それは年齢に関係なく幾つになっても同じことなのだと思う。 |
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この作品の主人公のケイという高齢の女性は社交的ではない。若い頃にある事情で別れた恋人を忘れられなくて、そのまま独身で過ごしてしまった。
世間の流行にも興味がなく、人づきあいとかを面倒臭がるタイプで、生活のために営む喫茶店こそが、現在の彼女の毎日の領域だ。だからこそ店の中は、器具や備品にいたるまで、彼女の趣味で徹底され、好きなジャズと、彼女の時間が流れている。 メニューに“美味しいオムハヤシ”を載せないのも、店が流行って、世間とかメディアに関わるのを好んでないのだろう。 必然的に店は流行らなくなってしまう。 |
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「しかし、かといってケイという女性は周りの人間が思っているほど不幸じゃない。むしろ今の自分の状態に満足し、ささやかだけど幸福すら感じているのです。
そして、毎日、次の瞬間の何かを待っている」とぼくはケイ役の歌手の亀渕友香さんに言ったことがある。撮影に入る前、ケイという女性について二人で話し合っている時だ。 「わかります。私もそういう時期がありましたから」亀渕さんは言ってくれた。そして 「メニューに載っていないオムハヤシを作り続けるのも、いつか昔の恋人に会えるかもしれない、何かのきっかけになるかも…と、ケイはそんな未来をも何となく予感していたのでしょう」とも言ってくれた。 |
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諸事情で結局4年前に製作できなかった『自転車とオムハヤシ』を、2002年の夏に、今度はデジカムを使って撮影し、クランクアップを迎えることができた。
冬になって、ぼくの個人的な事情でなかなか取り掛かれなかった、MACを使っての編集作業もようやく終わろうとしている。 自宅のMACの画面に映った青空の下の『映画館』は、 風に揺れた木々の緑と一緒に、夏の陽光に照らされている。 とても素敵な店に見えるのだが、しかしそれでも監督のぼくは、この店は流行ってない店なのだと、自分に言い聞かせて、編集作業を続けてきた。 短編とはいえ、映画製作とは、いかに多くの人と出逢えるかだと思う。 撮影に全面的に協力して頂いた『JAZZ喫茶 映画館』の吉田昌弘さんをはじめ、 この作品に関わってくれた方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 その感謝の気持ちに応える何よりのことは、 『自転車とオムハヤシ』を良い作品に仕上げることなのだと、ぼくは思う。 鈴木 崇 2003年1月8日 |
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