埋もれた名盤 第3回 |
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日本制作のジャケット・デザイン | |
吉田昌弘
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今回はオリジナル盤とは異なる日本独自のデザインによるジャケットを中心にピック・アップしてみました。
日本制作のLPは売らんかなの為、金文字を使ったりWジャケットにしたりと重厚長大な陳腐なデザインが多いです。しかし中にはオリジナルを越え演奏内容とマッチしたセンスの良いモノが有ります、今回はジャケット・デザインの視点からそれらを取り上げてみました。 |
「さび」 原盤はドイツMPSの「Our
Kaind of SABI」です。
「さび」とは秀吉の力で押しまくる黄金趣味に対する、町方からのアンチテーゼとして出された簡素を良しとする文化であったと思います。そして江戸の庶民からは拝金主義を否定した「粋」が作られたと考えています。 19Cヨーロッパの前衛の間で日本文化が共感を持って迎えられ、1867年のパリ万博で頂点に達しジャポニズムを生みました。 今でもヨーロッパでは日本人以上に「日本文化」を高く評価しているようです。 このアルバムは1970年大阪万博の為に来日したヨーロピアン・ジャズ・オール・スターからベースが外れたトリオにより、初めの1音からスリルに満ちた演奏を聴かせてくれます。 日本では70年代以降「粋」も「さび」も捨て去り、錬金術のバブルへ向かい、今では「さび」はジャズ喫茶の片隅で埃を被って有るくらいです。 日本盤だけが墨の仮名文字のジャケットを使い「さび」を簡潔に表現おり、私の欲しい1枚です。 1970年東京にて録音 |
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「極東組曲」 数あるD.エリントンのビック・バンド・作品のなかでもこれは異質なアルバムですが、当店では最も良く掛かるエリントンです。
1966年録音エリントンが国務省派遣の親善大使として63年ダマスカスからインド、セイロンを廻り、翌年日本へ来た時の印象を綴ったアルバムです。 彼の目に東洋がどの様に写ったか、A面から順に聴いて行くとオリエントから極東へと近づいて来ます。 B面最後の「アドリブ・オン・ニッポン」では古い日本の旋律が聴けます。 それもずっと都会的・現代的にアレンジしたモノが。 このアルバムのピアノ・ソロを聴けばエリントンがモダン・ピアノの生みの親でありその流れがT,モンクやC,テーラーに繋がる事を理解出来るでしょう。 日本プレスは草月風墨文字で「極東組曲」と書かれたジャケット・デザインです。 |
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「スキッピン」 当「映画館」ではマルの名盤「レフト・アローン」のリクエストがあっても掛けないです。
哀切を正面からストレートに歌い、これを10人位でまともに聴いている姿を想像してみてください、私はテレてしまいます。そこで漠然とマルのリクエストを受けた時は、「アレ」だと解っていても違うモノを、大概は「スキッピン」を選びます。 マルは余り正面に出ずサポートに徹すると良い演奏になるようです。 このアルバムでは緊張感を持続させながら、ジャケット・デザインのボトルが競い合うかのごとく全員が巧く盛り上げていきます。 オリジナルはムメラ原盤で黒地にイラスト文字をレイアウトしたデザインですが、 日本盤ではこのようにポピラーな洋酒達がスキップしジャムセッションを繰り広げちいます。そのボトル・ラベルの一部分にプレイヤーの名前を書き楽しいジャケット・デザインに仕上がってます。 1971年3月、パリにて録音 |
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「ケニー・ドーハムの肖像」 オリジナルは幻として知られているJARO原盤です。 |
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「マイルス イン トウキョウ」 内容は1958年のマイルスを集めたオムニバスで、B-1の「ラブ・フォー・セール」は暫く入手の難しかったモノです。
このアルバムも日本だけの発売で、池田満寿夫氏の絵を使った美しいジャケットはフランス映画の「小粋」な小品を思わせる出来で、部屋に飾っても飽きのこないモノです。 どちらもSONYがJAZZに力を入れていた時期のプレスで、さすがにセンスの良さを看板にしていた会社の作品です。このセンスという奴は磨かなければ身に付きません、このセンスこそがJAZZの命です。 |
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