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1990年代のトラッド・ジャズ(前編)
TRADITIONAL JAZZ IN THE 90'
   

柳澤安信

21世紀も早2年が過ぎ、1990年代も過去の時代になりつつあるが、このあたりで90年代のトラディショナル・ジャズを振り返ってみたいと思う。
1990年代を一口で言うと、1920年代から30年代の初期のジャズを創造してきた巨人たちが高齢化し、引退もしくは死亡するなかで、彼らを継承する第二世代の中堅ミュージシャンが活躍し、更にこれからのジャズ・シーンを担う期待の新人も現れて、新旧のミュージシャンが完全に世代交代した時代ということができる。
次のような分類で、もう少し詳しく辿ってみよう。

・ニューオリンズ・ジャズ・シーン
・ニューヨークのコンドン・ジャズ
・ローソン・ハガート・ジャズ・バンド
・西海岸のジャズ
・ベテラン・ジャズ・メンの活動
・ビックス・バイダーベックに拘わるイベント
(以下は後編にて)
・カンザス・シティ・ジャズ、ニューヨークの黒人ジャズ
・白人系スイング・ジャズ
・まとめ
  1990年代のトラッド・ジャズCD25選
  2000年代トラッド系ミュージシャン一覧
●ニューオリンズ・ジャズ・シーン

古老たちが次々に死んで行くなかで、1990年代の初め頃まではウィリー・ハンフリー(cl)やパーシー・ハンフリー(tp)がまだプリザベーション・ホールで演奏していたが、彼らが亡くなると(ウィリーが94年6月、パーシーが95年7月)急速に世代交代進んだ。
プリザベーション・ホール・ジャズ・バンドはウェンデル・ブルーニアス(Wendell Brunious,tp)やマイケル・ホワイト(Dr. Michael White,cl)が主要メンバーになり、最近のCDではアラン・ジャフェの息子が父親と同じチューバで参加するなど、若返りが図られている。
※1「PRESERVATION HALL JAZZ BAND :In The Sweet Bye & Bye」(Sony SK62363)は、1994年と95年の演奏で、メンバーも大分昔と様変わりしている。なかにウィントン・マルサリスの父親がピアノを弾いている曲も入っている。
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これからのニューオリンズのジャズ界はマイケル・ホワイトがリーダーシップを取っていくのではなかろうか。「DR.MICHAEL WHITE :A Song For George Lewis」(Basin Street BSR0501-2)は、2000年吹込みの彼のリーダー・アルバムで、最新の地元のニューオリンズ・ジャズを楽しむことができる。
地元にはニューオリンズ・ジャズを継承する黒人ミュージシャンも結構いるようだが、世界のファンに知れ渡るようになる若者はほとんどいない。
むしろニューオリンズ・ジャズは、西海岸の白人社会や日本を含めた海外のミュージシャンに引継がれている感が強い。
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そんななかで、地元出身のウイントン・マルサリス(tp)がジェリー・ロール・モートンの音楽を再演した>
※3「Mr. Jelly Lord」(SME SRCS 2108,99年録音)を発表、ニコラス・ペイトン(tp)もルイ・アームストロングに捧げた※4「Dear Louis」(Verve UCCV 1010,2000年録音)をリリースしたことは特筆に価する。この二作品は普段はモダン・ジャズ界で活躍する二人が、ニューオリンズ・ジャズに回帰した異色作で、内容も素晴らしい。これからも古典ジャズへの取り組みを期待したいが、更に若手の黒人ミュージシャンの出現も待たれるところである。
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●ニューヨークのコンドン・ジャズ

1986年6月、ニューヨークのタウンホールで開かれたJVCジャズ・フェスティバルに、「シカゴ・ジャズ・サミット」という企画があった。このステージは、ヴィンス・ジョルダーノのナイト・フォークス(Vince Giordano and The Nighthawks)という若手のディキシー・バンドをベースに、往年のスター・プレイアーが次々にフューチャーされて熱演するという歴史に残るコンサートになった。その模様は

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「Chicago Jazz Summit」(Atlantic 81844-1)で聴くことができる。
おそらくこのステージが所謂エディ・コンドン一家の残党が終結した最後のイベントではなかろうか。その時出演したワイルド・ビル・デヴィソン(co)が89年11月、ジミー・マクパートランド(co)、エディー・ミラー(ts)が91年の3月と4月、アート・ホーディス(p)は93年3月、マックス・カミンスキー(tp)は94年9月に亡くなった。出てはいないがバド・フリーマン(ts)も91年3月に死亡している。
大御所エディ・コンドン本人の死亡(1973年8月)後も彼の友人達によって演奏されてきたコンドン・ジャズも、90年代半ばにきて、完全にその後継者に引き継がれることになった。コンドン・ジャズの後継者にはレッド・バラバン(Red Balaban,g)、エド・ポルサー(Ed Polcer,tp)、ジェームス・ダポグニー(James Dapogny,p)らがおり、ワイルド・ビルの後継者では、トム・サンダース(Tom Saunders,co)が有名だ。彼らは晩年のコンドンと行動を共にし、コンドンの死後はニューヨークのミッドタウンに「Eddie Condons」を開いて、トラッド・ジャズの啓蒙に努めたコンドン狂である。
ほかにも中堅、若手の後継者に、ジョン・エリック・ケルソー(Jon-Erik Kellso,tp)、ビル・オーレッド(Bill Allred,tb)、ボブ・ヘヴンズ(Bob Havens,tb)、ボビー・ゴードン(Bobby Gordon,cl)、チャック・ヘッジス(Chuck Hedges,cl)、ジョニー・ヴァロー(Johnny Varro,p)、マーク・シェーン(Mark Shane,p)、レイ・シャーマン(Ray Sherman,p)、ヴィンス・ジョルダーノ(b,bass sax)、ジョー・アショーネ(Joe Ascione,d)などたくさんおり、今後も彼らの活躍が十分期待できる。
90年代のコンドン後継者たちの作品では、エド・ポルサーの
※6「Jamminユ ala Condon」(Jazzology JCD 238,94年録音)、トム・サンダースの※7「Call of the Wild : Tom Saunders and the Wild Bill Davison Legacy」(Arbors ARCD 19146,95年録音)、ピィ・ウィ・ラッセルの香りが漂うボビー・ゴードンの※8「The Bobby Gordon Quartet」(Arbors ARCD 19112,92年録音)などが名盤だと思う。
 
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●ローソン・ハガート・ジャズ・バンド

ボブ・クロスビー楽団のメンバーで、かつてローソン・ハガート・ジャズ・バンドでも共に仕事をしたヤンク・ローソン(tp)とボブ・ハガート(b)は、1970年代には超一流どころを集めたワールド・グレイテスト・ジャズ・バンドを率いて活躍した。メンバーの高齢化に伴い、70年代末でワールド・グレイテスト・ジャズ・バンドを解散すると、彼らは80年代にローソン・ハガート・ジャズ・バンドを復活、その活動は90年代初めまで続いた。メンバーもジョージ・マッソー(George Masso,tb)、ケニー・ダヴァーン(Kenny Davern,cl)、ジョン・バンチ(John Bunch,p)、バッキー・ピザレリ(Bucky Pizzarelli,g)、ジェイク・ハナ(Jake Hanna,d)といった中堅どころに若返り、リーダーの長老二人が加わって、正に円熟したディキシーを聴かせてくれた。
そのヤンク・ローソンが95年2月に死亡、長年のコンビが崩れたボブ・ハガートだったが、彼はその後も健在で、中堅、若手のミュージシャンの中に飛び込んで仕事を続けた。日本には95年5月に、ヤンク・ローソンに代わって急遽旧友ジィーク・ザーチィ(Zeke Zarchy,tp)を入れたワールド・グレイテスト・ジャズ・バンドを再編してやってきた。メンバーにエド・ポルサー、ジョージ・マッソー、ジョン・バンチ、ブッチー・マイルス(Butch Miles,d)らがいた。
しかし元気だったボブ・ハガートも98年12月に死亡、残念ながらワールド・グレイテスト・ジャズ・バンド、ローソン・ハガート・ジャズ・バンドは消滅した形となった。ローソン・ハガート・ジャズ・バンドの最後の作品は※9「The Legendary LawsonミHaggart Jazz Band with A Southern Accent」(Jazzology JCD 203,91年録音)ではなかろうか。
彼らの出身母体ボブ・クロスビー楽団は、現在ピアニストのエド・メッツ・シニア(Ed Mez Sr.)が引き継ぎ、演奏活動をしているようだ。
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●西海岸のジャズ


カリフォルニアは昔からディキシーランド・ジャズが盛んなところで、かつてはルウ・ワターズ、ボブ・スコビー、ターク・マーフィが活躍し、ファイアー・ハウス・ファイブ・プラス・ツウが人気を得た。当時のメンバーで90年代も演奏しているミュージシャンに、トム・シャープスティーン(Tom Sharpsteen,cl)、ジョージ・プロバート(George Probert,cl,ss)、コンラド・ジャニス(Conrad Janis,tb)らがいる。それからボブ・グリーン(Bob Green,p)、ブッチー・トンプソン(Butch Thompson,p,cl)、ハル・スミス(Hal Smith,d)らベテランも健在だ。最近の若手ではドラムス、バンジョー、トランペットなど楽器なら何でもこなすクリント・ベーカー(Clint Baker)がめきめき人気を上げている。彼は現在ウィルバー・デ・パリス(tb)のバンド名だった「New New Orleans Jazz Band」という名前をもらって活動しているようだ。
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トム・シャープスティーンの私家盤※10「Tom Sharpsteen and His Orlandos」(no number,94年録音)は、クリント・ベーカーがドラムスで参加、カリフォルニア・サウンドのニューオリンズ・ジャズが楽しめる。
ほかにも当地にはハッピー・ディキシーを演奏する「South Frisco Jazz band」、「Golden Eagle Jazz Band」などアマチュア、セミプロ、プロのディキシー・バンドやバンジョー・バンドが数限りなく存在する。ミュージシャンはほとんど白人で、演奏はニューオリンズ・スタイル、大阪の「ニュオリーズ・ラスカルズ」と交流が深いプレイアーが多い。
2002年の神戸ジャズ・ストリートに初来日したエヴァン・クリストファー(Evan Christopher,cl)は、伝統的なこくのあるクラリネットを聴かせる期待のミュージシャンで、関西を中心に人気が高まっている
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ハル・スミスもトラッド系の味のあるドラマーだ。※11「HAL SMITHユS CALIFORNIA SWING CATS : Swing, Brother, Swing」(Jazzology JCD 255,95年録音)は、彼がリーダーのスイング・コンボで、ティム・ロウーリン(Tim Laughlin)のクラリネットとレベッカ・キルゴア(Rebecca Kilgore)のスインギーな唄をフューチュアーした名盤だ。
西海岸では毎年二つの大きなトラッド・ジャズ・フェスティバルが開催されている。一つは5月にサクラメントで行われる「Sacrament Jazz Jubilee」(02年が第29回)、もう一つは9月にロス・アンジェルスで行われる「Los Angeles Sweet & Hot Music Festival」(Classic Jazz Festival時代から数えると、02年が第19回)である。この二つのイベントには全米からトラッド系の有名バンドやミュージシャンが大集合し、夢のようなステージが展開される。これに参加すると、現在のトラッド・ジャズ界の状況や今後の動向など、生きた情報をまとめて得ることができる。
●ベテラン・ジャズメンの活動

ここで1990年代も精力的に演奏活動を行ったベテラン・ミュージシャンを、ラルフ・サットン(p)、ボブ・ウィルバー(cl,ss)、マーティ・グロス(g)、ディック・ハイマン(p)の四人に絞って追ってみよう。
ラルフ・サットンは90年代の初め頃心臓病で一時体調を崩した時期があったが、その後健康を回復し、後年になるほどタッチが力強くなり、他のピアニストと一味もふた味も違うストライド・ピアノを聴かせてくれた。国内外のイベントにも引っ張り凧のように見え、録音もたくさん残している。日本には1984年に初来日、その後01年までの17年間ほとんど毎年来日しているが、神戸がほとんどで、東京での聴く機会は少なかった。
大変温厚で紳士だったサットンも2001年12月、心臓麻痺で帰らぬ人となった。
※12「SWEET SUE : Ralph Sutton & Friends」(Nagel Heyer CD057)は99年ハンブルグでのライブだが、晩年の演奏とは思えない若々しい演奏だ。ディック・ハイマンとのデュオ・アルバム※13「DICK HYMAN/RALPH SUTTON」(Concord CCD 4603,93年録音)も名盤である。
 
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ボブ・ウィルバーは70年代にワールド・グレイテスト・ジャズ・バンドに参加する傍ら、ケニー・ダヴァーン(cl)と組んだ「ソプラノ・サミット」で活躍した。ソプラノ・サミットは5年ほどの活動だったが、80年代後半になって再会ステージや再会セッションを持つ機会があり、それは現在も続いているようだ。その時は「サミット・リユニオン」と銘打って演奏している。※14「KENNY DAVERN and BOB WILBER : SUMMIT REUNION」(Jazzology JCD 328)は99年の録音で、アル・ジョルスンのヒット曲を集めたリユニオンの最新アルバムである。彼はまた夫人で歌手のパグ・ホートン(Joanne メPugモ Horton)を加えて、シドニー・ベシェのトリビュート・バンド「Bob Wilber and The Bechet Legacy」を編成してレコーディングしたり、臨時のスイング・オーケストラを指揮することもある。1990年にはビックス・バイダーベックの伝記映画の音楽も担当している。
サミットの相棒ケニー・ダヴァーンも精力的な活動をしたミュージシャンで、アヴァース・レコードにリーダー・アルバムを数枚作り、※15「KENNY DAVERN and THE RHYTHM MEN」(Arbors ARCD 19147,95年録音)は、スインギーな彼の名演集である。
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ソプラノ・サミットのリズム・セクションの一員だったギターのマーティ・グロスも、最も活躍したベテラン・ミュージシャンの一人だ。彼は電気ギターを絶対に使わず、年代物のギブソンを愛用、バーナード・アディソン風のシャッフル・リズムをきざみ、ヴォーカルも得意とする。コルネットのピーター・エクランド(Peter Ecklund)との双頭バンド「オーファン・ニュースボーイズ」(The Orphan Newsboys)は、ボビー・ゴードン(cl)とグレグ・コーエン(Greg Kohen,b)を加えた四人編成のユニークなコンボで、80年代後半から90年代前半にかけて大活躍した。※16「LAUGHING AT LIFE : THE ORPHAN NEWSBOYS」(Stomp Off CD1214,90年録音)はこのバンドの代表的一枚である。
彼も日本には何度も来ているが、最近では2000年9月、宇都宮の栃木県立美術館で開催された父親で画家の「ジョージ・グロス展」にホストとして来日、展示室前でソロ・ギターを聴かせてくれた。90年代も録音数の多いプレイアーである。
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ピアノ兼作編曲のディック・ハイマンは、1985年からニューヨークで毎夏2週間連続のジャズ・コンサート「Jazz In July」を主宰している。これは彼のライフワークになっているとのことだ。この催しは単なる夏祭り的な興行ではなく、毎回コンセプトを立案し、それに基づいた曲構成と出演者が決まる、いかにもハイマンらしい格調の高いコンサートだという。そのハイマンの日本公演は96年10月六本木のサントリー・ホールで開催された。メンバーはフリップ・フィリップス(ts,2001年8月亡)をメイン・ゲストに、ピーター・アップルヤード(Peter Appleyard,vib)、ディレク・スミス(Derek Smith,p)、ケン・ペプロウスキー(Ken Peplowski,cl,ts)、マイケル・ムーア(Michael Moore,b)、ハワード・オールデン(Howard Alden,g)、ブッチー・マイルス(d)という豪華な顔ぶれで、スインギーで心温まる素晴らしいコンサートになった。このライブのレコード化も望まれるが、この公演前の2月にスタジオ録音したCDに、※17「DICK HYMAN : Swing Is Here」(Reference RR 72CD)がある。メンバーが若干異なるが、スタンダード・ナンバーばかりをハイマン好みのリラックスしたアレンジで演奏している。
ハイマンはレコーディング活動も活発に行っているが、映画音楽も得意とし、特にウディ・アレン監督の映画は彼によるものが多く、01年公開された「ギター弾きの恋」も楽しい映画だった。サウンド・トラック盤が※18「Sweet and Lowdown」(Sony Classical SK89019,c99年録音)として出ている。ギターはハワード・オールデンをメインに、バックをベテラン、バッキー・ピザレリがつけている。
 
 
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  ●ビックス・バイダーベックに拘わるイベント

ビックスの出身地アイオワ州ダヴェンポートでは、毎年夏に町をあげての「ビックス祭り」(Bix Beiderbecke Memorial Jazz Festival)が開催されている。このイベントにはビックスとジーン・ゴールドケット楽団でいっしょだったトロンボーンのスピーグル・ウィルコックス(Spiegle Willcox)がゲストとして招かれていた。気さくで皆から愛されていた彼も、1999年の第28回フェスティバルに出演直後の8月に96歳で亡くなり、これでビックスと演奏したことのある現役ミュージシャンは、全くいなくなった。
ダヴェンポートでは90年にビックスの生涯を忠実に描いた伝記映画「BIX」(プピ・アヴァティ監督、イタリア映画)のロケがあった。日本では92年に「ジャズ・ミー・ブルース」の邦題で公開され、サウンド・トラックのCD※19「BIX An interpretation of a legend」(BMG Victor BVCJ 118,90年録音)も発売になった。音楽はボブ・ウィルバーが担当、音のビックス役はサンズ・オブ・ビックス(The Sons Of Bix)のコルネット奏者、トム・プレッチャー(Tom Pletcher)、ほかにケニー・ダヴァーン(cl)、ヴィンス・ジョルダーノ(bass sax)、アンディ・ステイン(Andy Stein,violin)らが参加している。
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1993年はビックス生誕90年に当たり、トランペットのランディ・サンキ(Randy Sandke)がニューヨーク・オールスターズというニューヨークの一流ミュージシャンを集めたバンドを編成、ビックスゆかりの曲をレパートリーに演奏活動を行った。ヨーロッパ・ツアーも行い、ハンブルグでのライブが※20「The Bix Beiderbecke Era : New York All Stars」(Nagel Heyer CD002,再発盤CD3002)として出ている。日本ツアーが行われなかったのは本当に残念だった。今年2003年はビックス生誕100年の年、ダヴェンポートを始め、世界各地で彼を称える企画が計画されている。
ビックスのSPレコード・コレクターとしても知られるランディ・サンキは、97年のJVCジャズ・フェスティバル・ニューヨークで、「ルイとビックス再発見!」(RE-DISCOVERED LOUIS AND BIX)というステージを企画した。このステージは、ルイ・アームストロングとビックス・バイダーベックが吹込んだレコードで、いまだに未発売になっている曲を演奏するというユニークかつ前代未聞の演奏会で、ルイのステージではニコラス・ペイトンも加わった。ビックスのセットでは、今まで未発表のビックスが作曲した曲2曲(Betcha I GetchaとCloudy)も披露された。このステージのライブ盤はまだ出ていないが、2年後の99年に当時のメンバーを再度集めてスタジオ録音した※21「THE RE-DISCOVERED LOUIS AND BIX : Randy Sandke and The New York Allstars」(Nagel Heyer CD058)が発売になっている。この作品も90年代のトラッド・ジャズ史に残る1枚である。
 
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(続編へ)          
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