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1990年代のトラッド・ジャズ(後編) TRADITIONAL JAZZ IN THE 90' |
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柳澤安信
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後編、 ・カンザス・シティ・ジャズ、ニューヨークの黒人ジャズ ・白人系スイング・ジャズ ・まとめ 1990年代のトラッド・ジャズCD25選 2000年代トラッド系ミュージシャン一覧 |
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●カンザス・シティ・ジャズ、ニューヨークの黒人ジャズ 1996年秋、1930年代カンザス・シティ・ジャズが華やかなりし頃の黒人ジャズ界を舞台にした映画「KANSAS CITY」(ロバート・アルトマン監督、ハル・ウィルナー音楽、1995年製作)が封切られた。演奏場面は俳優ではなく、本物の若手黒人ミュージシャンが登場、パワー溢れるカンザス・スイングを演奏した。メンバーにジョシュア・レッドマン(Joshua Redman,ts)、ジェームス・カーター(James Carter,ts)、デヴィッド・ニューマン(David Newman,as)、サイラス・チェスナット(Cyrus Chestnut,p)など21世紀のモダン・ジャズを担うホープが顔をそろえていた。ベテランではロン・カーター(b)、ニコラス・ペイトンも出ていた。サウンド・トラックを※22「KANSAS CITY」(Verve POCJ 1321,95年録音)で聴くことができる。 |
22、
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カンザス風スイングといえば、「ステイツメン・オブ・ジャズ」(Statemen of Jazz)という栄光のバンドがある。このバンドは全米ジャズ協会同盟(American
Federation of Jazz Societies)が1994年に、「ジャズの新しい分野を広げることに、生涯を通じて著しい活躍をした65歳以上のミュージシャンに名誉を与える」ために組織されたツアー・グループで、高齢のミュージシャンにもできる限り演奏の機会を与え、ジャズという文化の振興に一役買ってもらおうというものである。 |
23、
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ニューヨークのリンカーンセンターに1986年、ジャズをアメリカの文化として維持して行く目的で、「ジャズ・アト・リンカーンセンター」(Jazz
at Lincoln Center)が設立された。音楽監督にウィントン・マルサリスが任命され、彼はコンサート、レクチャー、レコーディング、ラジオ放送、海外ツアー、大人および子供向けの教育プログラムなどのプロデュースを行った。88年には活動のためのハウス・ビッグ・バンド、リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラを結成、マルサリスの指揮のもと、歴史に残る名曲の再演と新たに作られた新曲を演奏のレパートリーに、活動を行っている。特にデューク・エリントンの音楽を重要なレパートリーとしており、毎年センターで行われるエリントン作品の演奏会は、ニューヨーク市の文化的ハイライトになっているという。 ※24「JAZZ AT LONCOLN CENTER : They came to swing」(Sony CK66379)は、ハウス・オーケストラの92年から94年の活動を記録したもので、エリントン・ナンバーを含めた高質のビッグ・バンド・ジャズを聴くことができる。 |
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リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラの日本ツアーは98年7月、横浜みなとみらいホールで、「Jazz at Lincoln Center in YOKOHAMA」と題して行われた。プログラムは「コンサート」と「エデュケーション」に分かれた6日間に及ぶもので、中学生から社会人までのレクチャーはもちろん、「マルサリスと遊ぼう」という子供のためのリズム・ワークショップもあった。オーケストラのメンバーはほとんどが黒人のミュージシャンだったが、アルト・サックスにテッド・ナッシュ(Ted Nash)、バリトンにジョー・テンパリー(Joe Temperley)が入っていた。オリジナルなデューク・エリントン楽団、カウント・ベイシー楽団がなくなってしまった現在、この楽団は黒人編成のオーケストラとしても貴重な存在で、02年秋には久々の来日を果たしている。 |
24、
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何度も来日して我々には馴染みの深いベニー・カーター(as,tp)は、ついに03年7月12日帰らぬ人となった。95歳だった。彼は02年8月末、ロスで開催されたスイート・アンド・ホット・ミュージック・フェスティバルのセレモニーに主賓として招かれ、元気な姿を見せていたという。 大分話が戻って95年2月、彼は栄誉あるハリウッドの「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム」(Hollywood Walk of Fame)を受賞した。その年の5月、そのお祝い興行となった「JAZZ GIANTS SPECIAL ユ95」が彼の11回目の来日となり、ベニー・カーター・アンド・ヒズ・フレンズというステージで健在ぶりを示した。サイドメンはプラス・ジョンソン(ts)、ハリー・エディソン(tp)、フィル・ウッズ(as)だった。このコンサートが日本での最後のステージになった。 ライオネル・ハンプトン(vib)は02年8月、94歳で亡くなった。彼は99年11月、90歳の誕生祝賀会で演奏し、年齢を感じさせない迫力あるアルバム「LIONEL HAMPTON 90th Birthday Celebration」(Sound Hills SSCD-8105)を作ったが、その後15年愛用したビブラフォーンをワシントンのスミソニアン博物館に寄贈、お返しとして新しいものと交換したと朝日新聞(2001年2月1日)が報じていた。 |
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●白人系スイング・ジャズ 1991年にクラリネットのピーナッツ・ハッコーがカルテットを率いて来日した。ルー・スタイン(p)、アーヴェル・ショー(b)、ブッチー・マイルス(d)という素晴らしいメンバーだったにもかかわらず、会場のお客さんはまばらだったという。彼はその後も現役で活動していたが、03年6月肺炎が原因で死去した。85歳だった。 アーティー・ショウ(93歳)も当の昔に演奏は止めてしまっているが、彼は1996年7月、ダヴェンポートで行われた全米ジャズ・ソサエティ連盟第11回総会で、「Jazz From Bix and Beyond」というジャズ・セミナーの講師を務めた。その時は杖をついて歩き、ビックスの墓前演奏にも顔を出していたが、その後はどうしているか、情報は得ていない。 ギターのジョージ・ヴァン・エプス(George Van Eps)は1998年11月惜しくも亡くなったが、晩年まで自分のスタイルを守り、上品で暖かな独特のサウンドを醸し出していた。94年9月ロスのフェスティバルで、初めて彼の7弦ギターを聴く機会に恵まれた。クラシックの指揮者のような紳士で、快くサインに応じてくれたことが印象に残っている。 |
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25、 |
※25「HOWAED
ALDEN + GEORGE VAN EPS : 13 Strings」(Concord CCD 4464,91年録音)はハワード・オールデンとの競演盤で、地味ながら味のある玄人好みのアルバムである。 クラリネットのエーブ・モストと弟のサム・モスト(ts)は健在だったが、エーブは02年10月に亡くなった。彼らは2000年10月エイブ・モスト・スイング・オーケストラを率いて来日、「トリビュート・トウ・ベニー・グッドマン・オーケストラ」と題したコンサート・ツアーを行っている。 |
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フロリダ州クリアーウォーター(Clearwater)のアヴァース・レコードは、毎年3月に、その年に80歳になる著名なミュージシャンを囲んで、「The
March of Jazz」と銘打ったパーティを企画している。01年のメイン・ゲストはルビー・ブラフ(co)、02年はラルフ・サットンの予定だったが、それを待たずに亡くなってしまった。今までにフィリップ・フィリップス、ボブ・ハガート、ジェリー・ジェローム(ts,2001年11月亡)、ジョー・ブシュキン(p)、ボブ・ウィルバーらがスペシャル・ゲストを務めている。 なお日本ではこのパーティに、大阪の「ヨウ・木村トリオ」(Yo Kimura Trio)が招かれて、毎年(00年から4年連続)演奏している。02年(2002年3月)の現地情報によると、ジョー・ワイルダー(tp)やジャック・レスバーグ(b)が元気だったのに比べ、若干年下のルビー・ブラフが車椅子での出演だったという。そのルビー・ブラフは残念なことに03年2月に死亡した。今年はバッキー・ピザレリとジャック・レスバーグ(b)が主賓だった。 スイング系ジャズの祭典では「コンコード・ジャズ・フェスティバル」が有名だ。1970年代から80年代にその主役であったスコット・ハミルトン(ts)は、90年代の初め頃までは自己のコンボを率いて出演していったが、最近は後輩に出番を譲り、マイペースで仕事をしているようだ。日本公演では、95年のケン・ペプロウスキーらと一緒に出演した「オールスターズ」というステージ以降は出ていない。しかし彼は日本には毎年(00年から3年連続)やって来ていて、エディ・ヒギンズ(Eddie Higgins,p)のトリオに加わって演奏している。02年は2度も来日し、2度目の10月には日本のトリオをバックに演奏した。そして今年は6月にエディ・ヒギンズ・トリオ、11月のコンコード・ジャズ・フェスティバルではハリー・アレンと競演の予定とのことで、これは大いに楽しみだ。 なお95年はコンコード・レコード創設者のカール・E・ジェファーソンが3月に他界、会社は後任のグレン・バロス社長に引き継がれ、社の方針も変化してきている。 スコット・ハミルトンに代わって実力、人気が認められるようになったのは、ケン・ペプロウスキーとハリー・アレン(Harry Allen,ts)であろう。 |
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26、
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ケン・ペプロウスキーは1990年代、いや現在を含めて今一番のクラリネット奏者の一人である。98年のコンコードでは、全盛期のベニー・グッドマン楽団と同一編成の「グレイト・スイング・オーケストラ」を指揮し、かの有名な「カーネギー・ホール・コンサート」を、五反田の「簡易保険ホール」で再現してみせた。※26「KEN PEPLOWSKI : LAST SWING OF THE CENTURY」(Concord CCD 4864-2)はそのライブ盤である。2000年のステージでは、コンテ・カンドリ(tp,2001年12月亡)をフューチュアーした「スインギング・オールセターズ」を指揮した。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スタン・ゲッツ、ズート・シムスの流れを汲み、日本のファンにも人気が急上昇したハリー・アレンは、97年のフェスティバルで自己のカルテットを率いて出演した。デイヴ・マッケンナが病気のため、ピアノはロス・トンプキンスだった。彼はその後2000年6月の「ジャズ・エリート・2000」で再来日、翌年の01年4月にはピアノの岸ミツアキ・トリオに加わって、日本ツアーを行っている | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
27、
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ハリー・アレンのCDはたくさん出ているが、※27「a night at birdland : HARRY AllEN QUINTET」(Nagel Heyer CD007,010,93年録音)は、彼の27才時の録音で、ハンブルグのジャズ・クラブ「バードランド」での白熱したライブ演奏が楽しめる。ジャケットは40年前アート・ブレイキーがニューヨークのバードランドに、クリフォード・ブラウンをフューチュアーしたクインテットを率いて出演した、あのブルーノート盤をイメージしている。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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コルネットのウォーレン・バッシェの弟、アレン・バッシェ(Allan Vache)もベニー・グッドマン系の素晴らしいクラリネット奏者である。彼はニュージャージー、テキサスと地方で活動しているためか、わが国では馴染みが薄いが、アトランタ・ジャズ・パーティなど各地で行われるフェスティバルにレギュラー出演し、レコーディングも精力的に行っている。 ※28「JAZZ IM AMERIKA HAUS : Allen Vache Swingtet」(Nagelheyer CD013,94年録音)は兄弟で出演したハンブルグのコンサート・ライブで、新鮮なスイング・ジャズが楽しめる。 |
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29、
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トロンボーンのダン・バレット(Dan Barrett)も、今最も働き盛りのミュージシャンだ。彼のトロンボーンはストレートで、ソフトで柔らかく、上品で、女性歌手のバックのオブリガードも絶妙である。※29「MOON SONG : Dan Barrett and his Extra-Celestials」(Arbors ARCD 19158,95年録音)は、彼の好みが良くでたスインギーな名演集で、女性歌手レベッカ・キルゴアの唄も最高である。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
30、
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ピアノのジョニー・ヴァロー(Johnny Varro)は実力派のベテランである。彼は何でもこなすスイング派の名ピアニストだが、ジョン・カービー楽団にも傾倒し、「スイング・セヴン」というコンボをピ編成して、ジョン・カービー・サウンドを追求している。※30「Johnny
Varro Swing 7」(Arbors ARCD 19138,94年録音)は、彼の近年の代表作だと思う。 ギターの若手ではフランク・ヴィノーラ(Frank Vignola)が素晴らしい。彼はまだ30代の中頃だが、理論、実技共に抜群のミュージシャンで、前途が楽しみだ。 この様にあげてくると、中堅、若手のスイング系ミュージシャンは意外と多いことがわかる。アメリカの特に白人の社会では、ジャズの中でもスイング・ジャズが最も受け入れられていると言うこともできる。 |
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●まとめ 1990年代のトラッド・ジャズ界を回顧してみたが、今日のメインストリーム・ジャズ・シーンは想像以上に活況を呈している。演奏の素晴らしい作品、話題性のある作品は数百枚に上るだろう。その中から25枚のCDを一覧表の通り選んでみた。一部のコレクターのように「偉大なジャズメンは皆死んでしまった。ディキシーもスイングも、もう終わりだ!」などとぼやく必要は全くない。感動する演奏がたくさんある。要は我々ファンのジャズへの前向きな取り組み次第であろう。ジャズは昔も今も全く変わっていない。 今日のトラディショナル・ジャズの隆盛は、1970年代に現れたスコット・ハミルトンによるものが大きいと私は思っている。モダン・ジャズ一辺倒のジャズ界に彗星のごとく現れたハミルトンは、それに続くスイング系ミュージシャンにインパクトを与えた。ケン・ペプロウスキー、ハリー・アレン、ダン・バレット、ランディ・サンキ、ハワード・オールデン、フランク・ヴィノーラなど、期待の中堅、新人がたくさん現れている。 マイルスやコルトレーンが活躍した60年代までのジャズの流れは、モダン・ジャズがその主流であった。しかし70年代以降はもう一本トラディショナル・ジャズも大きな流れとなって今日に至っている。モダン・ジャズの流れに決して引けを取らない。 2000年代にも活躍が期待できるミュージシャンを別表の通り列挙してみると、その質、量共に驚かされる。彼らはこれからのトラッド・ジャズ・シーンをリードし、我々ファンに暖かくハートフル演奏を聴かせてくれるに違いない。 アメリカの教育系テレビでは2001年1月からドキュメンタリー作家、ケン・バーンズ製作による長編ジャズ・シリーズ(18時間半)を放映し、全米で1,300万世帯がテレビに釘付けになったという。このダイジェスト版が02年7月から8月にかけNHK教育テレビでも、ドキュメント地球時間「ジャズ」(全6回4時間半)として放映され、残りの後半分(全6回)も年末から03年正月にかけて放映され、ジャズ・ファンの話題になった。 2000年代もジャズの話題は尽きない。 |
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200年代のトラッド系ミュージシャン |
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200年代のトラッド系ミュージシャン |
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(前編へ) | 2004年9月25日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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